日々の出来事
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
無双のマロと同じ人物とは思えないほど、カッコよかった今川義元の最後でありました。
寅王丸は寺から逃げたしたとして、処刑されました。
飯富さんが仕切ったのですが、信玄は本当に寅王丸は逃げ出して処刑だったのかちょっと疑いましたが、飯富さんの断言に何も言い返しませんでした。
今川義元に謁見を求めて駿府までやって来た勘助。
義元さんは勘助が大っ嫌いです。
白々しい策の提案をします。
さっさと勘助を退けて織田攻めに向かう義元さん。
勘助の提案が気に食わなくって、あえて桶狭間を通る方を選んでしまった義元さん。
桶狭間にやって来ました、そして休憩しちゃいました。
そうして織田の奇襲に遭い、討ち取られてしまいました。
最後に麗しい美声を披露してくれて、今回で最後なのが寂しく思いました。
改めて寿桂尼に謁見した勘助は寅王丸のことと、桶狭間を通る進路を取っていなければ良いのだが、とまあ白々しい言葉を連ねます。
そして、寿桂尼は勘付きました。
まさか陥れられたのではないかと、気が付いたときにはもう遅く、義元さんは桶狭間にて討ち取られておりました。
今川義元が桶狭間にて織田信長に討たれたことは、武田にもすぐに知らせが来ました。
飯富さんが勘助に詰め寄ります、駿府に何をしに行ったのかと。
まあもちろん、追い込むつもりで義元さんに謁見したわけですが、そんな事は言いません。
寅王丸のことの知らせに言った、とだけ。
飯富さんは勘助を疑ってかかります、今川との関係が悪化すれば義信さんの立場が危なくなる事は必定です。
大事な義信さんを守らなければならないと、誰よりも思っているのは飯富さんです。
ましてや勘助は諏訪ヒイキですからね、何をしてくるかわかったもんじゃないと思っているのかもしれませんね。
で、今回信長さんは出てきませんでした。
人生五十年の歌とシルエットは出てきましたが・・・・・・。
さすがですよね、信長の名を世に知らしめた桶狭間なのにこんなにもないがしろにされて、ちょっと解釈変えれば勘助の策の実りですからね。
いやはや恐ろしい。
寅王丸は寺から逃げたしたとして、処刑されました。
飯富さんが仕切ったのですが、信玄は本当に寅王丸は逃げ出して処刑だったのかちょっと疑いましたが、飯富さんの断言に何も言い返しませんでした。
今川義元に謁見を求めて駿府までやって来た勘助。
義元さんは勘助が大っ嫌いです。
白々しい策の提案をします。
さっさと勘助を退けて織田攻めに向かう義元さん。
勘助の提案が気に食わなくって、あえて桶狭間を通る方を選んでしまった義元さん。
桶狭間にやって来ました、そして休憩しちゃいました。
そうして織田の奇襲に遭い、討ち取られてしまいました。
最後に麗しい美声を披露してくれて、今回で最後なのが寂しく思いました。
改めて寿桂尼に謁見した勘助は寅王丸のことと、桶狭間を通る進路を取っていなければ良いのだが、とまあ白々しい言葉を連ねます。
そして、寿桂尼は勘付きました。
まさか陥れられたのではないかと、気が付いたときにはもう遅く、義元さんは桶狭間にて討ち取られておりました。
今川義元が桶狭間にて織田信長に討たれたことは、武田にもすぐに知らせが来ました。
飯富さんが勘助に詰め寄ります、駿府に何をしに行ったのかと。
まあもちろん、追い込むつもりで義元さんに謁見したわけですが、そんな事は言いません。
寅王丸のことの知らせに言った、とだけ。
飯富さんは勘助を疑ってかかります、今川との関係が悪化すれば義信さんの立場が危なくなる事は必定です。
大事な義信さんを守らなければならないと、誰よりも思っているのは飯富さんです。
ましてや勘助は諏訪ヒイキですからね、何をしてくるかわかったもんじゃないと思っているのかもしれませんね。
で、今回信長さんは出てきませんでした。
人生五十年の歌とシルエットは出てきましたが・・・・・・。
さすがですよね、信長の名を世に知らしめた桶狭間なのにこんなにもないがしろにされて、ちょっと解釈変えれば勘助の策の実りですからね。
いやはや恐ろしい。
PR
この記事にコメントする