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第31回 「さらば幾島」
後に言われる安政の大獄によって、井伊大老は一ツ橋派に容赦ない仕打ち。
西郷どんは何とか命は助かり、近衛さんは落飾し隠居生活、村岡さんは江戸に連れて来られての詮議です。
村岡さんは天璋院の婚儀の時母親役を引き受けてくれた人、何とかして助けなければと頭を悩ませることに。
直接家茂公に言って、井伊大老の思う壺にはまる訳にはいかず、こうなれば、と動き出した天璋院の行動を読んだ幾島が天璋院を抑えて、江戸にて押し込められている村岡さんに会いに行く事に。
権力を最大限に振るって、幾島が渡したウチギ(打ち掛けみたいなものですよね、漢字が分かりません)をまとった村岡さんは、これまた最大限の権力を使って詮議を切り抜けます。
いや、改めて権力って凄いものですよね。
そして、村岡さんが72歳だったのにも驚きでございましたよ。
家茂公と天璋院の関係はすこぶる良好で、悩んでいたのに話してくれないと私も悩みを話せませぬ、と心強い言葉。
井伊大老の妨害に負けず、家茂公は天璋院を本当に頼りに慕ってくれますねぇ。
本当の母上様はいかがしたのでしょう。
薩摩では、斉興公がまだこれからだと言うのに、と悔しげに世を去っていかれました。
最後までふてぶてしい人でしたね。
やっと時代がやって来た、忠教公。
斉彬公の遺志を継ぐ、強い言葉を発します。
城下ではお由羅の子なんぞ信じられるか、の若人たち。
今こそ立つべし、いきり立ちますが、大久保さんに諌められます。
いつの間にやら大久保さんはどっしり構える人になったのですね、成長したものです。
村岡さんの決着がついて、幾島は去ることに。
いつでもどこでも陰のように寄り添ってきた幾島と、今ここに来て別れるのはつらいですね。
幾島は薩摩、近衛家として、天璋院は徳川の人間として、それぞれ行く道が異なってしまった。
なんやかんやと、騒がしく頼もしく側にいた幾島が居なくなると、寂しいです・・・・・・。